有能な現場と、劣悪な経営

経営スタイルの日米比較

「有能な現場と劣悪な

経営」は、日本企業の成功

体験を端的に表現する言葉

です。

優秀な従業員がいたから、たとえ経営者が優秀でなくとも成長

してこられた。

これがその主旨です。

これに対して、アメリカ型の経営は「劣悪な現場と、有能な経営」

という対比で説明されます。

現場は決して優秀ではないが、経営者は優秀である確率が高い

という意味です。

もちろん全企業がキッチリ2つのタイプに区分されるわけでは

ありません。また、どちらにも一長一短があります。

全体的な傾向を誇張した、比喩を交えた比較です。

置き去りの現場

この比喩は、アメリカ型経営の優秀さを例えるときに出てくる

話です。

アメリカの経営者は、確立された一種の専門職であるという

認識は日本でも徐々に浸透しています。

経営者の給与や待遇は天井知らずです。

その結果、日本でも現場が置き去りにされる傾向が徐々に拡大

しています。

経営不振になると、コストカットやリストラの話が初めに出て

くるからです。

V字回復に不可欠な年中行事のようです。

現場は、儲かった時の果実はほとんど分配されず、経営が失敗

した時には大きなしわ寄せが及びます。

現場が支えた事業構造

日本の現場力のレベルの高さは、伝統的に、国民性や職業道徳の

高さの面で説明されます。

現場の優秀さを生み出す、見えない大きな文化です。

それは、その通りです。

しかし、過去の成功体験も影響しているのではないでしょうか。

バブル期、あるいはリーマンショック以前の時代の過大な成功

体験です。

実力をはるかに超えた成功です。

格別の戦略がなくても、現場さえ優秀なら、業界全体が成長

していました。

経営に対する勘違い

右肩上がりの経済成長が続けば、経営者の思考は単純になります。

モノが売れて当たり前の時代は、仕事はほとんど現場に任せて

おけば良かったのです。現場が自立的に判断を下し、その結果、

会社がうまく回っていました。企業の生死をかけた真剣な経営

判断はそれほど求められなかったのです。

多くの問題が現場で解決されてきたからです。

経営者は現場の問題より、机上のコスト管理に集中してきました。

置き去りの現場

経営本来の仕事は、時代性にあったビジネスモデルを選択し、

シェア率を拡大し、投資額にふさわしい利益を上げることです。

ここを置き去りにして、経営は成り立ちません。

結論は、従業員への再投資がなければ、現場のクオリティは

維持できないということです。

毎年、一定の教育投資が求められます。

雇用が不安定になるほど、現場知識が継承されなくなるからです。

オーソドックスな経営は、人を重視し、育成し続けることです。