なぜ、仕事をするのだろう

仕事を通じて何を実現するのか

仕事を選択するとき、常にその「目的」

は気になります。

「目的」とは職種、待遇、肩書、勤務地

といった「条件」ではありません。

どんな仕事についても、仕事を一生涯続け

るための自分個人の内なる「目的」です。

これは、転職だけでなく、初めて就職するときにも同じです。

何のために仕事をするのか。

仕事を通じて、何を達成すれば、自分は満足するのか。

この疑問に対しては、仕事に対する主体的な考えを持たないと

解決の糸口は見えません。

「仕事」を得て、同時にその「目的」意識を持つことで、自分の

人生に対してより主体的な責任者になれます。

ここで言う主体的とは、自分が持つ自己イメージに対する前向き

な欲求といってもよいでしょう。

どんな仕事も自己表現の場

例えば、誠実に取り組み、周囲に親切で、昇進しても決して

威張らない。

仕事を通じて学び、成長のため助力を惜しまず、人脈を広げる。

こういうことを意識して、自分がなりたい姿を心に描くことが、

主体的な目的を持った生き方です。

自分個人として願う、好ましい自分のイメージを、仕事を通じて

どれほど表現できるか、発揮できるのか。

これがなくて、本当の達成感は得られるのでしょうか。

大企業か中小企業か、有名な企業か、どんな職種か、という

ことではありません。

仕事をする根本的な動機として、自己表現欲求が厳然とあります。

そこから目的意識や使命感や成長意欲が生まれます。

それで満足か

出世、給料、肩書、権限、富裕層入り等も、いうまでもなく

仕事の目的といえます。

この点を認めたうえで、しかし、その先のゴールになる最終的

到達点が自己実現ではないでしょうか。

自分の本心にある自己表現の欲求が満たされたとき、自己が

実現されたという意味です。

出世、給料、肩書は、究極の時点での自分の究極の表現や満足に

なり得るのか。

ここを課題視してはいかがでしょう。

人生での達成感は何か

職業人生の終盤に入った時、出世、給料、肩書を得たことと、

自分の価値観に基づく自己表現を貫徹できたのかを比較して

みた時、どう感じられるでしょう。

物質的な欲求だけを満たした時、自分の内側からの納得感は

沸いてくるでしょうか。

若い世代でも、こうした問題を抱える方はきっと多いと思います。

ほとんどの方が、意識的、無意識的に求めている課題なの

でしょう。

十分に自己実現や自己表現をして、人生への納得感を獲得

したいという心の渇望は、職業選択にはつきものです。

意識するかしないかの違いです。

自分は、自分らしい生き方を、仕事を通じてできたのか。

3人の石工

古来から伝わる寓話に、三人の石工の話があります。

ある人が道を歩いていると、三人の石工が道に並んで仕事を

しています。

「あなたは、何をしているのですか?」こう、三人に尋ねます。

最初の男は「石を削っている」

第2の男は「生活費を稼いでいる」

3人目の男は「魂のための教会を作っている」

ここにも、仕事の価値観が複数あることを示しています。

決して、どれが高尚な目的かを語っているわけではありません。

3つの答えは表面的なものです。

問題は、その奥にある自己表現欲求です。

誰もが抱える課題

「カネを稼ぐための仕事」という現実を通じて、仕事の奥に

ある、生涯持ち続けられる「満足感」はいったい何なのか。

仕事をしながら、どれほど自分が自分の職業人生に納得でき

るのか。

その満足感を支えるのが、自分らしさを示す自己イメージです。

毎日の仕事をする時、どんな姿の自分なら後で後悔しないのか。

誰もが同じ思いを抱えながら、新人時代から老年時代までを

過ごします。

常に迷いながらも、その答えを求めて仕事をしているのです。