『人件費は投資か、コストか』
かつてピーター・ドラッカーが世の中の経営者全員に投げかけた大きな問いです。
一見、経営上の会計処理に関する質問のように思えます。
しかし、この言葉は仕事に対する”価値観”への問いかけです。
経営者だけでなく、すべての職業人に対してです。
あなたにとって仕事とは何ですか、と置き換えてもよいでしょう。
「人件費は投資か、コストか?」
経営者、役員、ベテランから新入社員、パートタイマー、アルバイトなど、すべての働く人々にとっての根源的な“働く意味”を問うのがこの質問です。
決して大げさではなく、生きることの意味を考えるために、非常に重要なきっかけになるのがこの設問です。
「投資なのか、コストなのか」を深く追及してゆくと、「仕事とは何か?」という別の世界につながってゆきます。
つまり、この問いに真正面から向き合えば、結局、自分自身の職業観を徹底的に問い詰めることなります。
「いったい、自分にとって仕事とは何だろう?」
この問題意識こそ、自分の職業観を育てる第一歩です。
どのような職業観を持つのも各人の自由です。
大切なのは、選択した自分独自の職業観によって、仕事から受け取る充実感が変わってくることです。
職業観なんて、今まで考えたことなんか・・・
残念ながら、最初の問い対するお手本となる回答はいまだにありません。
もちろん、大半の経営者は即座に“コスト”と答えるでしょう。
「人件費はコストである」
多分、グローバル化が進む今日のビジネス社会では、それは異論のない常識なのでしょう。でも、本当にそれで良いのでしょうか。
あなたは、その回答で満足しますか。
「投資とコスト」に関して、少し考えてみましょう。
投資とは見返りが期待されている支出であります。これに対し、コストとは一過性の消耗的な支出です。
人件費には、リターンが含まれているのか無いのかという見方をしてもよいでしょう。
ところが、そもそも現実の企業社会では、「投資かコストか」を基準にして給与が決まっているわけではありません。
例えば、正社員への給料は投資で、アルバイトの時給はコストなのか。
知的労働は付加価値を生むので投資になり、肉体労働にはそれがないのでコストであると割り切ってよいのでしょうか。
同様に、研究開発部門の人件費は投資で、製造ラインの人件費はコストなのか。また、コンサル企業への問題解決依頼は投資で、データ分析をした自社社員の残業代はコストなのか。
どんな仕事でも知的創造力が決め手になる
“投資”と“コスト”を制度的に区別することは、多分、どこの会社でも行われてはいないでしょう。
しかし、これは本来大切な着眼点です。
企業競争力の根源には、独自の製品開発力や各種のノウハウの蓄積があります。
それらの“知恵”は、長年の業務の工夫や試行錯誤や研究開発など、長い経験の中で生まれたものです。
その“知恵”が企業を成長させ、人材も成長させてきました。
その根底には、暗黙のうちに人材への“投資”という発想がありました。
巨額な研究開発センターを建設し、そこに勤務する専門家を集め、同時に、工場の製造ラインでは現場要員が、日夜、小さな作業改善を重ねている巨大企業をご存じでしょう。
「人件費はコストである」という単純な発想では理解できないでしょう。
問題は、どんな仕事でも知的な工夫の余地があるということです。
経営戦略から製造現場まで、目を皿のようにしてみれば、改善点は無数にあります。
これら潜在的な改善点は、単なる“コスト”としての人件費のままでは発見できないでしょう。
人件費には“投資”という側面がある、という前提で考えないと知恵の蓄積が
行われません。
つまり、人件費には必ず“投資”分が含まれているということです。
人件費は、どちらか一方ではなく、両方の要素を含んで初めて企業を成長させることができるのです。
人件費は投資であり、コストでもあります。
労働者派遣法は「木を見て森を見ていない」
この法律の目的は、固定費である人件費を変動費化することです。
1986年に施行され、その10年後には派遣の対象職種が2倍に拡大されました。
これによって、人件費のコスト化は一層推進されます。
企業経営における費用は、分かりやすく大別すると2つに分けられます。
1つは固定費で、もう1つは変動費です。
固定費とは、売上高や生産量の大小にかかわらず毎月発生する一定レベルの費用です。
人件費はその中でも最大の費用項目です。
売上ゼロでも従業員は必要です。
変動費とは売上高や生産量の変化に応じて変動する費用です。
材料費、商品原価、荷造運賃などが相当します。
売れば売るほど増えてゆく費用を指します。
経営者が長い間切望したのは、人件費を何とか変動費化できないかということです。
モノが売れても売れなくても、毎月固定した人件費を払うのは不合理だ。そこで、売れ方に応じて変動する人件費でコストを合理化したい。
そうなると経営がずっと楽になります。
経営側の一方的な要望を汲んで、派遣の拡大がオーケーになったわけです。多くの経営者が理想とする制度が生まれたのです。
「人件費の変動費化」が法的に認められたことで、その流れが加速します。こっちのほうが楽だからです。
これは人件費を100%コスト化するという意味でもあります。
サラリーマン経営者が求めた安易なマニュアル経営
派遣法以前は正社員による運営が主流で、閑散期や業績不振の時でも固定的な人件費が支払われてきました。
ところが、派遣法の施行・改正により、人件費の相当部分が変動費化できるようになったのです。
正社員から派遣社員に置き換えてゆけば、業績悪化に合わせて人件費も容易に削減できます。外国人労働者を採用する利点も同じことです。
「人件費は単なるコストでしかない」
これによって“知恵”の創出や蓄積という業務は経営から消えたと見るべきでしょう。
「人件費は投資である」という信念を持った経営者はどこに行ったのでしょう。
時給労働の拡大によって、企業の競争力や成長力を支える「知的創造」はどうなるのでしょう。
仕事における知恵やコツやスキルは、見えないインフラです。
売上、荒利益、販管費、生産性などの面で優位に立つために、“知恵”というインフラは不可欠です。
荒廃する会社経営
コスト面から手を入れる経営は、もう限界に来ています。
そこで、場当たり的にあの手この手を繰り返していても問題は根本解決しないでしょう。
様々な費用項目でコストカットを繰り返し、“虎の子”の人件費までも変動費化することで、コストカットを徹底しているようです。
見逃せないのは、コストカットへの執着で会社自体が荒廃しつつあることです。管理職は権限よりも責任を問われ、正社員は昇給もなくノルマを引き上げられ、労働環境も劣化して、会社全体が疲弊しているのではないでしょうか。
コストより利益が下回るなら、コストを上回る利益構造に転換できる新たな“投資”が必要です。
新市場開拓も、そのための事業転換も含みます。
問題はコストではありません。
30年以上前の“投資”効果はもう残っていないのです。
ところが適切な先行投資は、現経営者には最も難しいことなのです。